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The Challenging Path of Keirin Cyclists 1

競輪選手への厳しい道 1

 少しだけ僕の話を聞いてほしい。僕の父も競輪選手だったから、子供のころから競輪は身近な存在だったはず。しかし競輪に興味を持つのはずっと後のことでした。小学生の時にBMXを買ってもらった私は自転車少年となりロードレースに出場したり各地にサイクリングに出かけ、高校生から本格的にトラック競技をすることになるのだが、当時NHKのツールドフランスを見て、自転車競技はやっぱこれでしょうと競輪には興味がわかなかった(競輪が何人で走るか?何周するのか等すら知らなかった) 今と違いほとんど海外の情報なんて無かった時代なので、高校時代にそこそこな成績を残した僕は、ヨーロッパでもそこそこいけるんじゃないか?と壮大な勘違い笑。現役だった親父に止められた経緯がある。それでも今となっては、競輪選手になって本当に良かったなぁと思っています。

そして競輪選手を目指すことになったのだが、親父の時代(約50年前)はギヤ比が自由で1キロ73秒位、200メートルハロン11秒代だと言ってたので、これは余裕でしょうとタカをくくっていた。

試験の昔と今

まず1次試験は各地で行われ(日本全国5地区で行われる)1キロTT。各地で行われるので、コンディションも様々、場所によっては極寒で雨が降ったり悪天候の日もあった。僕が受験した中部地区は日本の真ん中位で比較的安定した気候に恵まれていました。 とりあえず1次はパス。しかし2次試験が地獄だった.次は現在の日本競輪選手養成所(当時は日本競輪学校)静岡県修善寺にて1キロTT、200ハロン、学科、面接、作文。11月の修善寺は極寒で、ほぼウォーミングアップなし。タイム出ませんよねぇ。そんなこんなで3回目でやっと合格出来たのです。 当時は受験回数に制限はなく7〜8回目の受験をする人も多かった。当時の(28年前)の合格タイムは1次試験1キロTT71秒、200Mハロン11.6秒くらいだったと思います。ギヤ比も自由。

僕の昔話を聞いてくれてありがとう、続きのコラムでは現在僕が指導している弟子の話をしたいと思います。

ライター
児玉利文

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